最近NASAが発表したEMドライブ(Electromagnetic Drive)は確かに作動しているがどうやって作動しているかは分かっていない不思議なエンジン。なぜ動いているのか分かってる人間はまだいません。考えた人も作った人も分からない。何かを後ろへ噴射させなければ前へ進めるはずはないのに、EMドライブは発電とマイクロ波だけで前へ進む。ガスもなく、爆破もなく、風も重力も使わず、何でなのか動けてる。
実はこれ重力が常にやってる事なのですけどね。どうやって動くかは分かっていないし、何も後ろへエネルギーをだしてないのに、もう当たり前になってるので誰も不思議に思っていない。EMドライブは似た様な結果を出しているが、まだ新しい人工技術なので重力と違って簡単に信じて貰えなかった。
誰が高性能のEMドライブを作れるかのレースが最近始まりました。理想では軽量な宇宙飛行機を作って近くの惑星を自由に巡れるようにしようとしています。大量な燃料を運ばなくて済めば、すいすいと自由に飛べるはずです。また、この研究の副産物として重力の原理は少し分かってくるじゃないかな。そうなったらBack to the futureに出てくるようなホバリングボードがやっと手に入るかな。
ポストマンより
雪がチラチラと見え隠れする季節となり、バイクに乗るには気持ちいい季節!!?よく言われます。こんな寒い時にバイクなんて何で乗るの?とあまり疑問に思った事もないけれど言われてみれば寒いよね。
でも皆さんスキーやボードに行くときに寒くても行きますよね。むしろ寒い時に寒さ対策をして、ウエアーなんかオシャレなのを選んだりしてね。バイクも同じかもしれないね。みんなそれぞれ楽しんで乗ってる訳で・・・
でも寒いので色々と対策する訳です。
風防なんて付けてみたり、グリップヒーターなんて付けてみたりね。
やっぱり極め付けは出先でのあったかい缶コーヒーだね。
用もなくふらりと寒空の下走り出し、いつもの峠のいつもの自販機いつものベンチに座ってね。缶をプシュッとする前に暖をとり、ちびちびコーヒーを飲んだな。『さて、寒いので帰ろっと』と冷える風を切って帰路へ着くのです。
両輪で鼓動より
食べ物って素晴らしいですよね。
美味しいものを食べると幸せな気持ちになる私です。
クリスマスの時期になってきましたね。街では、クリスマス飾りやイルミネーションがきらびやかで楽しい気持ちになりますね。
この時期になると毎年『シュトーレン』を焼いております。『シュトーレン』とは、ドイツの菓子パンで、生地にドライフルーツやナッツを練り込み、表面に砂糖をまぶしたものです。非常に多くのバターを使用する為、高カロリーなお菓子です。高カロリーの物ってなんでこんなに美味しいんでしょう。
通常のパンと違い、日持ちするように作られていますので、食べ方としては、クリスマスイブの4週間前から少しずつスライスしながら食べ、クリスマスを待ち望むというのが一般的です。僕は我慢できないので、作ってから3,4日で食べきっちゃいます。
もうすぐクリスマス。美味しいシュトーレンを食べながら、クリスマスを心待ちにする楽しみなんていかがでしょうか。
そう、あれはかれこれ28年前、時代は昭和から平成に変わった頃。私と言えば専門学校を卒業してどこにも行く宛なく、何となくわが秋葉ダイカストに入社して間もなくの頃、ある大手のお客様の担当を任されました。右も左も解らない私にとって、今考えてもそれは冒険ともいえる経験でした。お客様は五反田にあり、私は毎週金曜日、かかさずそのお客様に通うようになりました。若輩者の私をそのお客様は暖かく迎え入れて戴き、沢山の技術的な事や営業の『いろは』を教えて戴きました。今の私はそのお客様あってのモノと、今でも五反田の方向には足を向けて寝られないほど(笑)、感謝しています。
さて、当時の景気はイケイケムード、バブリーな時代でありましたので、毎週毎週、金曜日はお酒の入らない日は皆無、いつもの様に千鳥足で五反田駅に向かって歩いていたところ、既に営業時間は終了していましたが、ある看板に目が釘付けになったのでした。それは『ミニカーショップ・コジマ』さんの看板。小学生の頃からミニカーを収集していた私には、東五反田のネオン看板よりも一際輝き、胸の奥を鷲掴みにされたような衝撃にかられました。
何を大袈裟なぁとお思いでしょう。いやいや、当時の我が地元群馬県には玩具店やちょっとしたホビーショップはありましたが、ターゲットを絞りに絞った『ミニカー』専門店など、有るはずもありません。有ったとしても当時の群馬県では3日と持たず、人知れず店を畳んでしまうようなカテゴリーでしょう。それを、『ミニカーショップ』などど、東京では掲げられるのか!!(正確には生き残れるのか~です)と、いたく感動を覚えた記憶があります。
それを機に、次の週からほぼ毎週のように『ミニカーショップ・コジマ』さんに足を運ぶことになります。お客様と商談後、飲み会の前に。お店は決して広いという感じではありませんでしたが、ほとんどのモデルは初めて見るものばかり、まるで宝石のように輝くミニカー達を見ながら、ある時はうっとりと見つめ溜息をつき、また有る時は清水(きよみず)ジャンプを試み、更にはナイアガラジャンプまでチャレンジし、なによりその豊富な知識を持たれているご主人や息子さん、そして時折顔を見せる先代のお話が楽しく、ミニカーについての貴重な知識を得る時間でもあったのです。
時は変わって現在。2016年である。五反田には行っても年に2~3度、仕事も変化し、足しげく通っていたコジマさんも西大井に移転され、私も中々ご訪問することが出来なくなりました。それでも細々とコレクションは続けており(止められないのが現状ですが)増えすぎたコレクションに家族からも冷たい目線と経済制裁が科せられている現状です。今ではパソコンひとつ、スマホひとつあれば、ミニカーはあっという間に手元に来る時代となってしまいました。便利なような、寂しいような。
そんなある日、某オークションサイトで昔懐かしいミニカーを落札したところ、一冊の古い本が同梱されていました。中島 登著『日本のミニカー』という本です。そこには日本のミニカーの歴史が克明に記されています。いわば日本の亜鉛ダイカストの歴史とも言える内容です。そして今回、その中の一文が私の眼に飛び込んできたのです。それは・・・(以下本文一部抜粋)玩具化してしまった既存メーカーのミニカーに対して、昭和50年代に入るとコレクターの欲求を十分に満たそうとするひとつの方向性が生まれた。『カドー』・『リーン』・『ルビコン』などのメーカーである。・・・とある。はて、『カドー』はコレクションとして2台ほど持っているが、『リーン』『ルビコン』というメーカーとはなんぞや??そしてその本の文章をまとめると、『昭和51年6月 、東京都八丁堀の小島玩具店より『ルビコン』第一号、発売される。製作者は小島慶三氏』とあります。えっ?待てよ、ちょっと待て、慌ててググッって調べると、そう、小島玩具店=現在の『ミニカーショップ・コジマ』ではありませんか!! 30年近く経って、今頃結びつくこの展開、まるでドラマのひとコマです。大きな玩具メーカーのギミック重視の子供向けミニカーに対抗し、その商品戦略に一石を投じようとした挑戦者は、実はこんなにも身近に居たのだと、何も知らなかった無知な自分を恥じ、まだまだ自分はミニカーを極めていない(笑)と反省しました。それと同時に、『どうしても思い出の’’ミニカーショップ・コジマ’’さんが作ったルビコンを手に入れたい』という、いつもように心の中の虫達が動き出すのを感じたのです。
とは言いましても、昭和51年といえば40年も前のこと、そう簡単ではありません。しかも相手は手作り同然の少量生産モデル。ネットでコレクターの方々のルビコンの紹介記事は目にするものの、売っているお店は無い。ネットオークションでも出ていない。しかし私は諦めない。仕事以上に諦めない。血液型はA型、ファミレスでのメニューは中々決まらず、皆が注文するものと同じでいいや・・・と諦めてもミニカーは諦めない。 あらゆる情報を駆使して広島県に1台生き残っているのを発見し、5月連休明けに私の手元にとうとう『ルビコン』がやって来たのです。
箱にはRUBICON KOJIMAの文字(涙)、車種はルノー4CV 車体色は薄いブルーグレー。スケールは世界標準の1/43です。内装やガラスはオミットされていますがディテールは素晴らしく、欧州の古いミニカーの雰囲気に似ています。(資料が少なく、もしかすると私のものだけ内装・ガラスが無いのかもしれません)製法はホワイトメタルキャスト、ゴム型などを利用した遠心鋳造法です。材料は錫(スズ)や鉛を主原料とし、アンチモンと呼ばれる金属などを配合した合金です。(アンチモニーとも呼びます。)ダイカストに比べると金型費用がかからず、繊細な部分まで表現することが可能です。しかし、柔らかく強度はありませんので、凹んだり破損したりする欠点があります。私のそれもルーフが凹んでおり、その材質の柔らかさを物語っています。(逆にそれが味わいとなっていますが)
さて、実車のルノー4CVという車は、戦後フランスの代表的な国民車として1946年にデビュー、大ヒットを記録し1961年まで生産されています。日本では日野自動車がライセンス契約をして、日野ルノーとして販売され、当時の日本の街中でも、多く見られた乗用車の一台です。ルビコンのルノー4CVも昭和50年代初頭に発売されていますので、当時の中堅サラリーマンの懐かしさをくすぐる車種選択であったに違いありません。小島さんの目の付けどころにも関心させられます。
手のひらの上に『ルビコン』を載せながら、いままでのコジマさんとの思い出を振り返り、さて、機会があったらまたゆっくりお伺いしてみよう・・・と思うこのごろです。
追伸 RUBICONとはイタリアの川の名前。ジュリウス・シーザーがこの川を渡ってローマを支配するポンペイとの戦いに向かったことから、Cross the Rubicon (ルビコン川を渡る)という言葉は、重大な決心をする・・・という意味になるそうです。余計にこのミニカーに対する小島さんの込められた思いを感じてしまいました。 余談ですがシーザーがこの川を渡る時、かの有名な言葉 『He dice is cast!!』 『さいは投げられた!!』と言ったそう。勝手な解釈ですが、ダイカストやホワイトメタルキャストとも通じる、何かの縁を感じてしまいます。と思ったら、Die Castingの語源のひとつとも言われていたのですね。Diceに似ているのでダイカスト金型はDieと言います。いわゆる6面体という事ですね。そこにCasting、投げ込む、作りこむという意味でDie castingという無理やりな言葉だなぁと思っていましたが、このシーザーの話の方がしっくり行きます。Dice is castとは先にに進むしかない、戻る事は出来ないという意味ですが、これが語源だとするとDie casting=ダイカストという命名をされた方は、とてもユーモアがあり、ダイカストという製造方法がいかに先進的であったかを物語る由来のひとつだと思います。重大な決心をして、先に進むしかない。ダイカストの語源として、これほど良いものは無いと思いますね。一度鋳造ボタンを押したら、後には戻れない、あとは天任せの綱渡り的な品質・・・という意味合いもあるかも知れませんけれど。
古代ローマ時代から現代まで、世間は狭く、そして深い。
ルビコン コジマ製 ルノー4CV サイズ1/43 Made in Japan 材質はアンチモニー製
他のルノー車と共に
手前右は ディアゴスティーニ社 ルノー4CV Made in China 写真では綺麗に見えますが、ルーフは湯ジワだらけであります(笑)
右奥はフランス ソリド社製 アルピーヌ ルノーA310 Made in France 日本では何故なのか知らぬが、エヴァンゲリヲンで有名になった車両です。
左奥 トミカダンディ製 アルピーヌ ルノーA442 Made in Japan 実車は1978年のルマン24時間レースで優勝を飾っています。
3台はいずれもサイズは1/43 亜鉛ダイカスト製
2016日本ダイカスト会議・展示会 開催 11月24日(木)~26日(土)
最近 見ているようで見ていないことって、やっぱあるんだなぁ~と痛感しました。それは、久々に1回の表から野球を観戦していた時です。(日本シリーズ第一戦、野球を知らなくても、名前は聞いたことがあるかもしれない「大谷翔平投手・野手」が先発した試合です。)
始まって1時間が過ぎた頃、ダイカスト仲間からのラインで、まさに自分が観ている野球の写真(テレビに映っているのを撮ったもの)が送られてきました。おっ!やっぱ注目されている試合だなぁなんて思っていましたら、内容は野球の試合ではなくバックネットに「ダイカスト」の広告が!との情報でした。
やられた!と思った半面、競合他社とはいえ、「ダイカスト」という言葉を知らない人達がまだまだいる中、「ダイカスト」という言葉を発信してもらったこと、また自分の携わっている業種がテレビのゴールデンタイムに出ていることが、かなり嬉しかったのも事実です。
さて、2014年に開催された日本ダイカスト会議から早2年、今月の24日(木)~26(土)に2016日本ダイカスト会議・展示会が開催されます。(場所:パシフィコ横浜)
前回は日本ダイカストの歴史の始まりとされている年「From 1917」というタイトルで、日本ダイカスト協会のブースでは、その時代におけるダイカストの展示などをしており、ダイカストの歴史にふれることができ、とても貴重な経験ができました。
今年は、「To The Future」ということで、未来に向けての展示があると思われ、楽しみにしております。
日本ダイカスト会議・展示会では、ダイカストメーカーはもちろん、ダイカストを支えているメーカー(マシンメーカー・周辺設備メーカー等)の展示や、研究論文発表・現場改善事例など多岐にわたって楽しむことができるようになっております。
ダイカストに携わっている方はもちろん、ダイカストって何??という方も是非足を運んで頂ければと思います。(展示会場は無料です)
休日の昼下がり。ベットで横になりながら意識が薄れてゆく。
下唇が少ししびれ始めて、「いつもとちょっと違うな」と感じた事が始まり。そのうちに、だんだん身体が辛くなり、ものすごく時間が経つのが遅く感じ始めました。だんだんと薄れてゆく意識。でも、「ここで何かあっても大丈夫。」なんてことも考えていました。
気がついたときには、ベッドの回りには数人のスタッフと、医師の方。少しの間、意識を失っていたようです。
年に数回訪れるここは、献血ルーム。
今回は、成分献血の血小板の献血でしたが…
成分献血は、必要な成分以外は、自分の身体に戻すので、身体の負担が少ないとされていますが、その負担の少ない献血で、このような事態が起きてしまいました。100人に一人の割合で、こういう事が起きる方がいらっしゃるようで、「懲りずにまた来てください」と一言。
自分では、体調は万全と思っていましたが、実際には問題があったのかも知れません。自分の気持ちと、実際の身体に起きている事の相違が年齢と共に少しずつ大きくなっている?
それから3ヶ月後。400mlの献血を無事にすることが出来ました。更に数ヶ月後、成分献血に再チャレンジ。無事に乗り越えました。
いろいろな飲み物がタダで飲めるし、コミック本もそこそこ揃っているので、ちょっとした漫画喫茶みたいな感じ。
健康な方は、是非訪れてみてください。定期的な血液検査と思えば、もちろん自分のためでもあるし、誰かの役に立てるって、すばらしいことだなって思いませんか。秋葉ダイカスト工業所でも、今月、会社に献血車がやってきます。
No.258より